奈良市 女性臨床鍼灸ならまち月燈 福田真奈美

 

  福田真奈美   火、水、木、金、日曜日担当

 

私の経歴は病歴とともにご紹介しようと思います。

なぜなら、私がいまここにいて、鍼灸指圧師として皆様と向かい合うことになるまでの過程には、自分自身がこころとからだを大切にすることを知らず、悩み苦しんだ過去があったからです。

 

平凡に生まれ育った私は中学卒業までは元気な学校を休むこともない健康優良児でしたが、最初の挫折、高校受験失敗から急激に体調を崩すようになります。田舎の公立中から、全く違う環境の神戸のミッション系の女子高へ。その環境が私には不適応だったのでしょう。

 

朝起きられない、学校に行きたくない、不良といわれ劣等生と思われ、どこにも居場所がありませんでした。何度も昏倒し、おなかがすぐに痛み、下血。病院に通いましたが、この時の診断名は自律神経失調症と十二指腸潰瘍。

 

何度も退学を考えては出来なかった高二の私に、スクールカウンセラーの先生との出会いがありました。今でこそ当たり前になっているカウンセラーですが、当時その存在はまだ珍しいものでした。それからカウンセリングルームには登校できるようになり、臨床心理学という学問に興味を持つことにより学習への意欲が湧いて、大学進学のため退学もしないと決めました。私は目標を、誰も知る人のいない東京の大学で臨床心理学を学ぶことに置き、必死に勉強しました。

 

が、二度目の挫折、大学受験失敗です。またしても思いもかけない女子大に自宅通学という結果になりました。この時は高校を卒業できた開放感で、高校受験ほどの挫折感はなかったかもしれません・・が4年間、何度も十二指腸潰瘍は繰り返しましたし、貧血、月経困難症もあり元気とはいえませんでした。からだよりこころが病んでいた時期かもしれません。自分に自信がなく、自分を好きになれませんでした。

 

心理職に就くつもりでいた私でしたが、卒業一年後に結婚、心理職も諦めて、今思えば、色んなものから逃げるための選択だったのかもしれません。挙式一月前にめまいと嘔吐がとまらず入院、メニエール病と診断され、それから十年ぐらいはめまいの予兆に怯える日々でした。

 

結婚した相手が京都の旅館の長男でしたので、自動的に若女将として働くことになりました。一人息子を授かり、その後色々あって、別居、離婚しながらも、婚家先にはお世話になり続け、働き続けるというよくわけのわからない状況の中で、何度も心身のバランスを崩しておりました。

 

繁忙期のヤマを越えると、40度を超える高熱を出し寝込むことの繰り返し、朝のこわばり、関節の激痛。当時、膠原病、回帰性リウマチと診断されましたが、ベッドから一歩も動けない激痛が2,3日続くと、あの痛みはなんだったのかと思うほどケロッと痛みが引くことの繰り返しでした。結局その繰り返しは10年あまり続き、関節リウマチと診断されるのですが、あの痛みと幼い息子を抱えて働けなくなることへの不安感は忘れることはありません。

 

シングルマザーとして働く毎日は多忙で充実はしていましたが、将来への不安は拭えず、もう一度心理職へとの思いで予備校に通っていた頃です。その頃息子もしょっちゅう熱を出し、またのお迎えの呼び出しの電話が保育園からかかり、今夜、息子を誰に預けて働こうか、苦悶しながら京都駅から慌てて乗ったタクシーの運転手さんが女性でした。

 

仕事、勉強、子育て。専業主婦の母が私にしてくれたような行き届いたケアもできず、その日も早く早くと追い立てて、無理やり保育園に預けた私。母としても仕事人としても女性としてもなにもかもが切羽詰まった状況に何をしてもダメな私。鬼気迫る思い詰めた顔をしていたと思います。運転手さんが「私もシングルマザーで息子を2人育てたよ~」って、のんびりとした口調で話し出してくれました。「大丈夫、大丈夫。なんとかなるから。」

張りつめていた糸が切れて号泣。なかなか車を降りることができませんでした。

 

あの時期はどうしてあんなに思い詰めていたんでしょうね。自分が許せない、自分がいけない、もっともっと頑張らなくてはいけない・・常に自分を追い込み、駆り立て、責める毎日でした。

 

でも、あの日から15年経った今、息子は東京で大学生活を謳歌し、たまにしかLINEも来ず、ぽか~んと一日何もすることがない日があったりすると、何をあんなに急いでたのかなぁ・・と思うのです。もっともっと、息子との時間をのんびり楽しめばよかった。

なんだ、15年後にこんな日が来るなら、あんなに急がず慌てず、力を抜いて生きていればよかった・・って思うのです。

 

関節リウマチには完治という言葉はないといわれますが、全くの寛解。5年以上症状はでていません。あれだけ辛かった色々なからだの症状はこころが元気になるとともにきれいに消えてなくなりました。

漢方薬、鍼灸など東洋医学の力も借りましたし、カウンセリングルームにも通い続けました。時間はかかりましたが、こころとからだの密接な関係はそんな自分自身の病歴からひしひしと感じたことです。

 

からだの不調を訴えられる患者さんのからだに触れると、色んな滞り、結ぼれ、塊が掌に触れます。

それはもちろん西洋医学的にも説明のつくものかもしれません。血行が悪くなっている、老廃物がうまく排出されていない・・など色々な原因があるでしょう。でも、私には患者さん自身が抱える悩み苦しみがかたちになって、からだにあらわれているように思えてなりません。

 

色んな方との色んな有難いご縁がありました。今は再婚し、これから新しい生活を奈良で始めます。

私がならまち月燈を作りたいと思ったのは、頑張り過ぎたり、自分を責めたり、好きになれなかったりする女性、こころとからだのバランスを崩している女性に「大丈夫、大丈夫、なんとかなるから」って言いたいからだけかもしれません。

 

今、あなたが抱えているからだの辛さ、しんどさは、あなたのこころが変われば変わっていくことを私は知っています。塊が解け、滞りが流れ、さらさらと巡り出せば、あなたが肩の力を抜いて、深くゆっくりと呼吸できるようになれば、人生は変わります。

 

私は様々な挫折や痛み、苦しみがあったからこそ、今ここにいることをとても有難く幸せに思っています。どうぞあなたの物語をお聴かせください。無理に喋らなくてもいいんです。私はあなたのこころとからだが訴えているその声にいつも耳を澄まし、あなたのこころとからだがゆっくりとほぐれてさらさらと流れて巡るようになるお手伝いがしたいといつもここで待っています。